
宅地建物取引主任者。現在、マルチメディアグループにて住まい関連の映像制作を担当。渋谷区在住で、住まいに対するこだわりは「都心で自然を満喫できる環境」。今後は、「ロハスな映像」の制作を目標に、皆さんとロハスを学んでいきたいです!

元NHK長野放送局・(株)テレビユー福島アナウンサー。現在は銀行の番組キャスター他、舞台、トークショーなどの司会、本のライターなどをしています。最近、長谷川理恵さんと仕事をした事をきっかけに、「野菜ソムリエ」の資格取得に目覚めました。”野菜“を通して、無理なくできる健康や美容などを学んでいきたいです!
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こんにちは、イー・ステート・オンラインの松倉です。
以前、父に聞いた話ですが、昔は磁石に紐を付けたものを腰にくくりつけて歩き、
クギなどの金属を集めて生業としていた人がいたそうです。
昔は道が舗装されていなかったので、土に金属が埋もれていることがあり、
磁石を使うと金属を集めることができたそうです。
しかも、集めた金属を売ると結構お金になったようです。
これに紐をくくりつけて
持って歩いたんでしょうか・・・?
昔はたばこも銀紙(アルミ?)に包まれて売られていて(今もかな?わかりません)、
その銀紙を集めるとキャッシュバックされる制度もあったようです。
私の祖父はサラリーマンで愛煙家でしたが、父によると、祖父はたばこの銀紙を
まるめてボール状にし、いくつかたまるとどこかへ持っていっていたそうです。
こういうことはどこの家でも自主的にやっていたようですが、今の分別収集とか
リサイクルとかの半ば強制的なものでないところがミソだなあ、と思います。
今こういうものがリサイクルできる
ようです。元は何だったか不明。
金属を集めることで商売ができた時代はいつ頃だったかというと、戦後の話です。
今大阪城公園になっている所は、戦時中は兵器工場だったらしく
空襲で徹底的に爆撃されたそう。
で、戦後はそのあたりいったいが沼地みたいになっていたそうなのですが、
沼地をさらうと工場跡地ですから金属がとれたそうです。
それで商売をしている人もいて、大阪では「ガタロ」と呼ばれていました。
「ガタロ」は大阪では河童のことで、「河太郎」からきた名称のようです。
桂米団治作「代書」という落語に出てくるので、
知っているかたもいらっしゃるかもしれませんね。
秋の大阪城公園。戦後はこのあたり一体にガタロが出没していたらしい。
「代書」という落語には、主な登場人物として
代書屋と履歴書の代書を頼みにきたお客がでてきます。
お客がいう職歴は「思っただけ」とか「2時間しかしていない仕事」など
履歴書に書けそうもない仕事ばかり。
代書屋は何度も書いた所を消して書き直す羽目になるのですが、
結局のところこの客がこれまで何で生計を立ててきたのかというと
「ガタロ」、だという話です。
▼桂米朝さんの「代書」はここから読むことができます
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug343.htm
桂米朝さん。上方落語がまだローカル文化
だったころ、東京に落語をしに行ったら
「かつら こめあさ?」と紹介されたことが
あるそう。
またリサイクルの時代になってきたのかなとも思うこの頃。
ものを簡単に捨てずに長く使うことは環境にも良いことです。
皆さんもリサイクルで、LOHASを実践してみてはいかがでしょうか。
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